思考にふわふわ漂うもの 22_8月号
2022/08/31
8月最後。夏休みおわり。
今日も正解を求めて考えを巡らせている。
ぼくがしたことはほんとうに正解か?懺悔とは残酷なものではなかったか?今回は別に良かったけれど、もしも、これがもっとひどいものだったら、ぼくは人に傷をつけてしまっていたのではないか?「もしも」の話はつまらないが、止まらないんだ。
人間アレルギー
また人間アレルギーっぽい感じになってる。いやお前ふつうに話しとったやろがい!っておもうでしょ?
僕あれなんです、ある程度会話すると、その人のイメージがぐちゃぐちゃになってきてその人を人間だと認識できなくなるんです。
いや、この拒絶の仕方だと、人間アレルギーというか人見知りに近いか。ぼく、表面上にはあんまり出ないけど、人見知り、するんですよ?(説得力皆無)
なんか僕人間大好き尻尾ふりふりみたいに見られてそうだけど、結構人間が苦手だったりする。一人は心地良いし、極力人間とは関わりたくない。そう思ってる部分がある。
だけれど、
別の部分が寂しくて寂しくて寒くて死にたくなって苦しくなって人間がいないとぼくは壊れてしまうから人間と話して尻尾振ってかまってもらってる。
こりゃ生きづらいわけだ。
まあ、なんかうまくやるさ。知らんけど(疲れて適当になってきた)
ひとり
明日が怖い、と思った。明日は始業式だ。いや、始業式の日は宿題回収とかあって絶対精神状態悪くなるから休むんだけど。でも、やっぱり、怖い。
明日だけじゃない。明後日、明々後日、時間が経っていくのがたまらなく怖い。楽しみなことはちゃんといくつか用意してあるのに、だんだんそれらに嫌悪感しか感じなくなってくる。楽しみが消えてゆく。嫌なことが近づいてくるから時間が経ってほしくないのかもしれない。わからない。体の中に焦りがある。でも、動けない。体の中が嫌な煙でいっぱいになっている。
手が、震えて、いる…?わからない。打ち込みづらい。ここに毒素を吐けば吐くほど、毒素だけが消えたもやもやだけが体に残って気持ち悪さが増していく。
最近、わかりやすい優しさを受け取れていないからかもしれない。いや、これは「甘さ」か。
あんまり褒めてもらえていないし、ここにいていいよ、とかも長らく聴いていない。栄養分が足りない。僕はそれを自分自身で作り出すことができないから、人間に供給してもらうほか無い。でも、僕はいまそれを手に入れられない状況にいる。人を弄ぶのをやめようとしているから。ちゃんと人間に向き合わなきゃ、と思っているから。僕にそういうことを言ってもらうのに一番手っ取り早い方法は「可哀相な女の子」の皮を被って、演技で人を操作することだ。これは、誰が見ても、人とちゃんと向き合っている、とは思わないだろう。だからこれはできない。そして、これをしないとなると、僕の周りに僕に甘くしてくれる人間はぜんぜんマジでほんとにいないことになる。普通っちゃ普通だけど。ここ数日、特に栄養不足でフラフラになった体を人間にボコされ続けてるので、結構精神が不安定になってる。たぶんここ数日の日記見ればわかると思うけど。あーあって感じです。日記書くのも嫌になってきたのでこのへんで。では。
2022/08/30
明日で、夏休みも最後だ。
眠いのでかくことないな…
お風呂入って頭冴えてきました。文字が動いて見えるのでたぶんそろそろ寝ないとやばいです。でも、ちょっと考え事をしているので、それを書きます。あ、いや、考え事というよりは、懺悔、です。
懺悔
しばらく前の事です。私は、嘘をつきました。
そして、今はそれを激しく後悔しております。
いいえ、ただ嘘をついた、それだけなら、私はその行いをこうも悔いることは無かったでしょう。その嘘は、誰も傷つけない類の嘘でしたから。私は嘘をつく事自体は悪いことだとは微塵も思っておりません。しかし、その時は、嘘をついた相手が問題だったのです。私が嘘をついたのは、嘘に最も敏感かつそれを苦手としている人間でした。いえ、ここまでなら、私はやはりそれに罪悪感も後悔も抱かずに済んだのです。このことの一番の問題は、その人が私の素直なところを信頼してくれていた、ということです。それを知っていた私は、事実がちゃんと頭の中にあるのに、わかっているのにそれと違うことを口にした瞬間、自分はとんでもない間違いを犯したのだ、ということを悟りました。すぐに、この場で今すぐ訂正しなければならない、という考えが浮かびましたが、私はまるで唖のように黙りこくってしまいました。嘘は、誰にもばれませんでした。もしかしたら、誰もが気づいていたのかもしれませんが、それを指摘する人間はいませんでした。いっそ、誰かが言ってくれればいいのに──何度もそう思いました。完全犯罪です。
私はその日から、何度も何度もその時のことを思い返し、そのたびに、ぐちゃぐちゃになりました。
いつか、二人で話すときがあれば、それがどれだけ遠い日であろうと、謝ろうと思います。そうしなければいけません。
私の今回の懺悔は、これで終わりです。
絶望
絶望を思考停止で食い止めて必死に息をする。目の前が揺らぐ。眠らなければいけない。なのに、人間を欲する浅ましい自分が寝るのを妨害する。あのひとを誘ってみれば?あ、このひと起きてるし、どう?と悪魔が囁いてくる。うるさい。あっちの都合も気分も性格もこっちの体調も気遣えってんだ。そんな気持ちをぶつけながらも、耳がAの声を求めている。音源?聴きたくないよ。ぼくは自分に向けられた声が好きなんだ。この偏食め。脳内がごちゃごちゃする。自分と悪魔の境界が曖昧だ。
僕はだれでもいいのかもしれない。あの、芯のある人の声でなくても、優しい低音でなくても、濁った声でなくても、本当は、だれでもなんでもいいのかもしれない。いまはAの声を欲しているはずだが、BでもCでも話せるとなればそっちに飛びつくだろう。絶望は深まるばかりだ。意味がわからない。
ねむい。ねたい。おねがいだから、
ねさせて。
…スマホを手放すと、すぐに脳内が希死に埋め尽くされそうになる。大丈夫。ぼくは、大丈夫なんだ。
ああ、明日は、雨が降るといいな。
雨はまだ降ってくれない。筋肉痛がひどい。体力を使ったので眠いけれど、やり終わらなければ寝れない作業がまだある。がんばる。
異常者
僕はそんなに異常者か。俺はそんなに異常者か。
「おかしい」「おかしい」「おかしい」
そんな声たちが思い出される。
僕は普通になりたかった。凡人になりたかった。でも、どれだけ「ふつう」に見せようとしても、おかしいと言われた。仕方ないじゃん、みんな、怪我して膿んでるのに消毒も絆創膏もしてもらえない生活って知ってる?みんなと「常識」がずれてるのは仕方ないじゃん。なんでおかしいって言うの。なんで僕を責めるの。
僕は怒っているのかもしれないし、悲しんでいるのかもしれないし、ただ無感情に叫んでいるのかもしれない。
「普通」になることを許されなかった女の子の話なんて、ありふれている。だから、僕が語っても、それに価値は無い。でも、だからって、誰かに聴いてほしいと思ってしまうのは本当に、無意味無価値非合理的なことだろうか。こんな思いを抱えることもまた「おかしい」ことなのだろうか。誰か教えてくれよ、僕はどうすれば良かったんだ。誰か命令してくれよ。僕はどうすればいいんだよ。「命令」なんてできないって?今まで散々してきたことだろ。何を今更。
世界の生み出したこの異常者を見つめろよ。見てくれよ。僕はここにいるから、逃げないから、見てくれよ。異常、というものの残酷さを知れよ。目を逸らさずに、この惨さを見つめろよ。
そして、それを知った人へ。
…ぼくはいいんです。このままのぼくでいいんです。だから、おねがいだから、もう、ぼくみたいなこどもがにどとうまれないように、のぞむひとみんながふつうにいきられるように、してください。
ぼくのきずをしることで、だれかがだれかにきずをつけるのをふせぐことができるなら、ぼくはいくらでもかたります。ぼくのきおくをすべてさしだします。だから、ふつうをのぞむこどもが、ひとりでもおおくふつうになれるように、いじょうしゃにならずにすむようにしてください。おねがいします。
知ってるよ、僕よりもっとひどい境遇の子供も居るんだって。
でも、だったら、僕よりもっと異常なやつもいるんだから、僕を異常者と呼ぶのをやめろよ。
なあ
一度「おかしい」って言われただけで、自分の全部が信じられなくなるんだぞ。わかるか?
一歩あるくだけで、今のはおかしくなかっただろうか、と考えるのが。
一言ことばを発するだけで、今のもおかしくなかっただろうか、だれか変な顔をしていないだろうか、と考えてしまう気持ちが。
おかしい、異常だ、って軽く言ってるかもしれないけど、それは、呪いなんだ。何重にもそれをかけられて、がんじがらめになってしまった人間がここにいるんだ。ああそうだよ、俺は異常者だよ。わかってんだよ。ずっとずっと、わかってたんだよ。なんでそれを、わざわざ言うんだよ。直らねえんだよ。その言葉のせいで何回泣いたと思ってる。何回死のうとしたと思ってる。今も泣いてんだよ。「おかしい」って言われた記憶が蘇ってくるたび、泣いちまうんだよ。そこまで気にするのもおかしいか。それも異常か。異常ってなんだよ。普通ってそんな難しいのか。
…感情に任せて書いたのでここでおわりです。
めちゃめちゃ荒んだ気分だ。
まわるまわる閉じた思考の中で、突然脈絡無く「ぼくはここにいる」ということばが浮かんでくる。かなりの頻度で。
「ぼくはここにいる」
これは、
6年前にいなくなったあの子へのメッセージかもしれないし、
見つけてほしいのかもしれないし、
安心させたいのかもしれないし、
自分の不安定さをなくしたいのかもしれない。
でも、それがどういう意味で、誰に伝えればいいのか、僕の脳みそは教えてくれない。
「ぼくはここにいる」
ここってどこだ?
「ぼくはここにいる」
「ぼくはここにいる」
「ぼくはここにいる」
まるでコンピューターウイルスだ。
なにかの間違いで僕の脳みそに入り込んだんだろう。
無理に消そう、とは思わない。そんなことをしたって、どうにもならないだろう。もう、とっくに僕の一部になっているのだから。
寂しい
さみしいなあ、と思う。気温が低くなったのでそのせいかもしれない。
僕の中では「さみしい」と「さむい」はとても近いものだ。
ただ、ぼくは(突然声をかけれる)友達がぜんぜんいないので、まあ今日は湯たんぽを抱きしめて眠ろうとおもう。筋肉痛やばいし。昨日、馬鹿みたいな量の作業したからなあ。うん?筋肉痛引き摺って今日も同じ量の作業したやつはどこだって?知らないねえ。
いい感じに眠い。明日は習い事があるので早く寝ないといけない。はやくねるのはきほんてきにいいことである──知らんが。
思考がぴょんぴょん跳ぶ。この漢字と表現は間違っているがそれは何ら問題とならない。湯たんぽをつくる。おやすみなさい。
意味の無い間違っているわからない
意味の無い間違っているわからない短文を書くのは楽しい。ぼくはある程度狂気に溺れていないとできないんだけれど、いつでもできる人間がいるってマ?
夜空とは極彩色の屋根でありすべての犯罪の源である。
本棚に詰め込まれた犯罪でぼくは人を嫌ったがぬいぐるみは彼らを愛し引き裂いた。
人間の両腕の先端には紅葉が付着していて、それはなんとお菓子として好まれている。
鼓動とは道路でありそれを傷つける遊びが36年前に流行ったようだが、今は禁止されている。全く残念なことだ
キーボードとカタカナで書くとそれはピアノの亜種であるのと扱いを受け、きーぼーどとひらがなで書けばそれは日本語と同義である
とあるメーカーのシーツは金箔を使用していることが売りだ。ある人、そのシーツに76日毎日暴行を加え続けた人間が鉛中毒で死亡したニュースが流れた。
湯とは兎のことだ。ではなぜ同じものを指す漢字が二つも作られたのか?その真相は恐らく一昨日に見た夢の中でわかるはずだ
カーテンはサンドウィッチに酷似しているがそれそのものではない
時計とは間違った死刑宣告である
布団とは牢であり枕とは絞首台だ。
夢枕に立てば救われると思っている君へ 現実とはそんな夢みたいなものではない。
覚えておけ、体育座りとは天使だ。我々が軽率にしていいものではない。
街灯とは、ジャック・オー・ランタンだ。彼らはハロウィンの日のみ、もとの真実の姿になるのだ。
2022/08/29
いつか雨が降るから生きよう。
僕は雨が降っているほうが生きやすい。
僕の周りの優しい人は何故か偏頭痛持ちが圧倒的に多くて、苦しんでるのを見るのはいやだけど、
僕は晴れだと苦しい。
乾いた空気は吸いづらいから呼吸がしにくいし、乾燥して肌が痛い。紫外線に晒されて日焼けをしてもっと痛くなるし、さんざん痛めつけられた肌に汗がしみて全身を針が刺されたような痛みが襲う。体育もあるし、上は眩しい。みんなが好きだという。でも僕は好きじゃないから仲間外れ。
夏の悪口並べ立てただけみたいになったけど、続きを書く気力が無くてここで切れてるだけです。
文字
精神状態が悪い。まだなんとか文字が追えるのが唯一の希望だ。本が読めれば僕は大丈夫だ。5分間で空はびっくりするほど明るくなった。ねむれない、絶望。雨が降らないのでぬいぐるみを抱きしめる。眠るには遅くて起きるには早い。江國香織さんの草子と葉子の世界に100ページほど浸っていたので空気が柔らかい。薬缶が蒸気を吐くまでにはまだ間がある。それまで狂人になろうと思う。
僕はここにいると呟く。缶コーヒーを飲みたい。君はあまりに僕に甘いから、微糖がいい。プルタブの開けられたアルコールがテーブルの上にたくさんあると悲しくなる。酔っているから、がすべての不可解な行動の理由になってしまうのは嫌いだ。でも僕は20を超えればそれを大量に摂取するだろう。だから責められない。早くお湯ができればいいのに。そうなれば優しい湯たんぽとともに眠れるのに。パンと水では人は死なない。死に至る病、それは絶望である──聞きかじった。ごみ箱は三途の川であって地獄ではない。留置所は本棚であり、電線は徒労である。彼はメッセージと声とアイコンの集合体であり、それをネットの人間と呼ぶ。カーテンは毒だ。目から鱗は失明で、失望とはつまり傲慢だ。ぬいぐるみはこの世で唯一の生物である。
ここで終わりにしよう。
あー、人間が起きてきてるなー、と思って嬉しくなる。空気が賑やかになって寂しさが和らぐんだ。でも僕はそれと離れて眠るんだ。
疲れた
阿呆みたいに疲れた。お腹が空いたのでプチフランスパンを齧るけど、咀嚼にも消化にも体力を使う、というどこかで聞きかじった記憶が出てきて嫌になる。ベッドに寝転がる。不快だ。枕もシーツも掛け布団も嫌いだ。畳にそのまま寝転がりたい。でもそれは怒られる。ぼくはもう野生に帰れないのに、身体がそうしたいと叫んでいる。擬似的にその欲求を満たそうと、かたいパンを食いちぎる。口が乾いたら水を口に流し込む。人工物まみれのものを野生を求めて体に突っ込む。たぶん、傍から見たら、ひどく滑稽だろう。でも、おなかが空いたんだ。食べても食べても空くんだ。たべればたべるほどおなかがすくんだ。かなしくなって食べるのをやめた。代わりに水を飲んだ。天然水とか水道水とかどうでもいいけど、とにかく水を飲んだ。水を飲んだら空腹が紛れた。水のせいで僕は人間になった。激情のせいでくらくらするので、この辺にしておこう。
2022/08/28
14時間寝た。なのに頭は冴えている。
プチフランスパン(昨日の晩と今日の朝食)を食い千切りながら、止まらない考え事をしていた。
ラミネート
どうやらこの世には手貼りラミネートなるものがあるらしい。ダイソーでみつけた。早速、7月のどこかで拾った葉っぱと、新聞の写真切り抜きを栞っぽく整えたものをラミネートした。
結果、良い。
できたものは写真中広間に貼った。
基本スマホの画面に保護シートを貼るのと同じ感じだったので、気泡を入れずにやるのはすごい難しいけれど、慣れればクオリティの高い栞を作ったり葉っぱや押し花など崩れやすい脆いものをプレゼントすることができそうだ。
更に、何人か友達に絵を書いてもらって、それをしおりにして交換──
夢が広がる。
つくる
上の書いてて、なんで僕はこんな絶望のどん底にいても何かを作ってるんだ?と思った。
不登校のくせにすぐ友達に何かを贈ることばっか考えて、
鬱々しているくせに往復80分歩いてブックオフに行くの。
2022/08/27
暗算
3級、12分、かけわりみとり、合わせて500点満点。
自分で時間計ってやってみた。
→結果
みとり 110/200
掛け算 150/150
割り算 150/150
合計 410/500
…みとりの精度落ちたなあ〜〜!!!
見取り算、3桁を5個足していく単純な計算なんだけど、めっちゃミスる。こればっかりは回数重ねてくしかない。
昨日今日、久しぶりに暗算とそろばんやったけどやっぱり楽しい。日課にしようかなあ。
最近
ここ最近、僕の心はやけに剥き出しだ。離人感(?)が薄れた、とも言える。防御壁が無い。本心とはまた違う気もするけど、よくわからない。
僕の心が僕の心に対して開かれているのかもしれない。
寂しさが、沁みてくる。
だから、心の奥にある小さな宝石箱の蓋をそうっと持ち上げて、その隙間から手を差し込んで、ひとつだけを取り出して、眺める。
忘れていた記憶。幸せな記憶。きらきら輝いていた記憶。
きらきらが色褪せる前にしまっておいた宝石箱。
ひとつひとつから、優しさが沁みてくる。こころがいっぱいになる。
僕を気遣う声が聞こえてくる。
ああ、この人は、純粋に僕を心配してくれていたんだ。この人がくれた優しさに、邪念なんてなかったんだ。
それが、痛いほど分かる。刺さってくる。
…ぼくは、なのに、信じられなかったんだ。
優しい、優しい、言葉たち。声。
優しい思い出には痛い思い出も伴う。
ごめんなさい。誰に?知らない。
ぼくは、人が信じられない。信じる、という感覚を忘れてしまった。
いや、信じられないんじゃなくて信じないのかもしれないけど。
僕に「ひとを信じる」幸せを教えてくれた六年生のときの担任の先生にはもう会えない。
最近、人を信じない、ということは、誰からも優しさを得てはいけないということだと思った。
せめて、今、優しさをくれている人だけは、信じたい、と思う。信じよう。信じなきゃ。信じてる。
大丈夫。頭でわかってることを心に落とし込めばいいんだから。
…眠いのでよくわからないことを書いてしまった。
新聞
新聞を読んでみた。めちゃめちゃ文字数あるように見えるけど、案外読めるものなんだ。すごい。スポーツとか広告とか番組には全く興味がないから飛ばして読んだけれど、それなりに面白い。読んでれば確実に頭の中のデータとか知識量は増えていくだろうなあ、と思った。飽きるまで読もうと思う。
日課
僕の日々には彩りが無い。それは、多くの人が、何処か一度はで聞いたことのある台詞だろう。とてもありふれた悩み。
ぼくは24時間のどこかで起きて、起きている時間の殆どををスマホを眺めて過ごす。一日の中で6時間ほど通話をするだろうか。雑な食事をあわせて30分ほど。
それだけだ。僕の生活は、それだけだった。
骸骨みたいな毎日に飽き飽きして絶望していたから、どうすればいいか考えた。
たぶん、小さな日課がたくさんあればいいのだ。
新聞を読む。そうして、決まった3つのコラム(?)を切り取り、ファイルに挟む。
一日に3時間程度は本に使う。それは、読んでもいいし、ブックカバーをかけたりブックオフの値札をきれいに剥がしたり、軽い修繕をしたり、本棚の整理をしたり、といったことに充ててもいい。
そろばんをちょこっと弾き、
暗算プリントを一枚。
「文藝」を数ページ、
クッキーを齧る。
「深き心の底より/小川洋子」
を、喉が痛くなったり口が疲れたりするまで読む。
このページを更新する。
床にコロコロをかける。
こんなことを、毎日やってみることにしている。不思議なことに、日課が増えれば増えるほど、一日が長くなる気がする。
感情
めちゃめちゃ嬉しい気持ちを圧さえつけると行き場のないエネルギーが反対方向に全振りされてめちゃめちゃ悲しくなる。でも今度は悲しさを圧さえつけると苦しくなるから不思議だよね。くるくる感情を変えていけばいつしかもとの「うれしい」に辿り着くのかもしれない。
まあ、ねむい。
おとなこども
僕の中に、大人を見る人がいる。
僕の中に、子供を見る人がいる。
それは僕の特質でもあるのかもしれないし、誰も彼もにあることかもしれないし、この年齢特有のものなのかもしれないけれど、僕はこれを僕だからこそのものだと思いたいのでその前提で話を進める。
僕は、おとなとこども、どちらでもあり、どちらでもでない存在、だと思う。
僕のことを「大人だ」「子供だ」と口々に評する人々は、ただ、僕というマネキン、自分の心やら性格やら中身やら願いやら期待やらを込めて、その人にしか見えないコーディネートを施し、更にそれを「そういう性質のもの」だと勘違いして見ているだけなのだ。そのコーディネートの結果、マネキンが小さく見えたり大きく見えたりするだけ。
彼らにとって「実年齢」はもはや便利に使える言い訳にすぎない。
「すごい!大人っぽいね〜!13歳だとは思えない!」
そんなん飽きるほど聞いたわ。
「すごい!(自由で)子供っぽいですね〜!30歳だとは思えない!」
って入れ替えるだけでめちゃめちゃな煽りになるじゃん…今気づいた。
…疲れたので一旦ここまで。
歩く
は?このクソ暑い日に、バス怖いからって40分歩こうって思いついたの誰だよ…俺だわ…コンビニでちょっとひんやりしてる。
歩くペースが遅いのでメトロノームつけて歩いてる。147BPM。音に引き摺られて歩いてる感じ。逆らえねえ…
暇だから遠めのブックオフにも行ってみよ!ってなって周ってるんですけど、微妙に行きづらい場所にばっかあってたいへんなんですよね。電車の到着時間とバスの出発時間の間隔近すぎて乗れないし。
まあ楽しいっちゃ楽しいので今後もやるんですけど。ブックオフって謎の魔力あるよね。わくわくする。
ちなみにあれです、ふつうに安く本を買いたい場合わざわざあちこちのブックオフに行く利点は全くありません。
自然
あー、水入りてえ、と思った。
海でもプールでもお風呂でもいいけど、できれば川。
とにかく全身を水に浸したい。
暖かくなってきてからシャワーだったからだいぶな期間水に沈んでないなあ。
水がだめなら、土に埋もれたい。服が汚れることなんて気にせずに、なんてよく耕してある、種まきする前の畑の柔らかくて黒い土にぼふっと倒れ込みたい。もしくは草原。虫と草と泥でぐちゃぐちゃになっていいから、寝っ転がりたい。
それもだめなら、せめて広い空が見たい。樹に触れたい。
とにかく、自然に触れたくてたまらない。くらくらするぐらいに、自然に酔いたい。溶けたい。自然を喰いたい。自然に喰われたい。「人間」につけられた成約を取っ払って、獣みたいになって、狂ったように自然の中でエネルギーを発散したい。動けなくなって気を失うまでそうしていたい。
でも、できない。イライラする。どうしてぼくは自然に戻っちゃだめなの。ぼくは人間に向いてない。ああ、電車の窓の外にある樹に触れられないのが悔しい。むしゃくしゃする。どうして、どうして触れさせてくれないの?ぼくが彼らに触れに行くことが許されたら、樹の幹を抱き締めたら、彼らはぼくに優しさと温もりと安心を分け与えてくれるはずなのに。歓迎してくれるはずなのに。
ああ、水が飲みたい。水道水でも天然水でも泥水でもなんでもいい。口の中のコーラの匂いを洗い流して、体の中を水で満たしたい。
自販機。100円の水。550ml、飲み干した。お腹はいっぱい。でも、まだ、まだ、足りない。水は、綺麗だ。手に水を受けて、それを膝に零しながら、水を身体のうちに満たしたい。
2022/08/26
話す
人の前に自分の声を晒すことは、ひどく、恐ろしいことだ。
今までの饒舌さや明るさは
「ぼくはひとに自分の声を聴いてもらって会話するのが楽しくて好きだ 人はさほど選ばない。人間が好きだ。」
という暗示がかかっていたからだ。いや、それは確かに本心でもあるのだが、今の時点の私にとっては違う。
手が勝手に動き、マイク付きイヤホンをスマホに接続した瞬間、ぼくは覚悟を決めると同時に絶望した。
これから話すのだ。これから、話さねばならないのだ。
昼間も話したのだから、怖いことはないだろう。
頭の中でそんな声も聞こえた。
話した。ほんの数分だけだが、朗読もした。僕が読む声はひどく頼りなく到底自分の声とは思えなかった。
ノーリアクションか刺さる指摘か、どっちもされることを考えられたけど、どっちも決して喜ばしい気分になるとは思えなかった。じゃあ僕は何を求めているのか?と考えたときぱっと出てきたものは浅ましくて、自己嫌悪。
喋る。滑舌が悪い、途切れがち、不安定、ぎこちない、アクセントが足りない、AIみたい、聞き取りづらい…などなど。
そんな評価をもらうのが怖くて、それと向き合いたくなくなってしまった。
さらに、自分がそれで自分の存在を主張するのが、とてもくだらなく汚く人を失望させ嫌悪されるようなことに思えてくる。
怖かった。
平常を装いながら、内側ではこんな感情に震えていたのだ。
…怖かった。寝ようと思った。soさん以外のひとに話すのはまだ怖かった。
でも、荒らしが来て、対処しなきゃって、権限のある人に連絡してもらわなきゃって急いでVCに戻り声をかけた。ふつうに話せていた。レオさんと胡散さんに連絡した。レオさんのところには何通も何通も「たすけて」のDMが来ていたようで、起こしてしまったらしい。申し訳無い。
素早くBANしてくださった方たちに感謝です。
荒らしサーバーへの案内が大量に貼られていて、誰かが好奇心で入ってしまうかもしれない、そうして荒らしになってしまうかもしれない、と思ってスクショしてからそれを消した。勝手にやったので怒られても仕方ないかもしれないけれど、まだ誰にも怒られていないのでいいんだと思う。その後消していいと言われたので胡散さんと一緒に大量のメッセージを消した。胡散さんの消すスピードすごかった…
その後、そろばんを弾きながらふつうにおしゃべりをした。ふつうに。
またいくつかミスをしたけれど、いや、ほとんどミスのフルコンボだったけれど、楽しかった。
また、明日も話せたらいいな、と思う。
絶望を忘れられる、あの朗読室のひとときが、僕にとっては確かな救いになっていたのだから。
2022/08/25
昨日の話
昨日ららぽーとに行った。
営業開始一時間前に着いてしまったので近くの公園を調べて行った。
こぢんまりした公園で、誰もいなかった。ボロボロのベンチと錆びついた遊具。端的に言って、好き。
そこのブランコに座ってMちゃんの話を書いた。そのへんの自販機で買ったカフェオレが美味しかった。
ららぽーとでは本屋しか行かなかった。お姉ちゃんのついでなので。
「文藝」を買ってみた。これから読む。
それとブックカバーを買った。このためにわざわざここへ来たと言える。ここのデザインめちゃ好きだし、ブックカバー単体で買えるとこってあんまないんだ。うれしい。
また足りなくなったら買い足しに来ようと思う。
14時に寝て22時半に起きた。体がだるい。
語る
例の考え事が少しずつ整理されてきた気がする。
というか、今ぼくが「したくてたまらないこと」が一つだけ浮かび上がってきた気がする。
ぼくは、語ることを必要としている。
頭の中で回る回る思考を、思い出を、誰かに語りたいのだ。
ただ難しいのは、それは、独り言ではいけない、ということだ。
語るだけなら独りでできるだろう。でも、それじゃだめなのだ。誰かに聞いてもらわないと意味がないのだ。
第一、ぼくは独り言だとうまく声が出ない。独り言は秘匿されるべきであり、自分以外の誰にも聴かれてはいけない。しかし、この声が誰かに聴かれているのではないか、と考えてしまってうまく喋れないのだ。
なら、録音しながらではどうか、というと、それも駄目だ。録音は誰かが聞かねば意味がないが、ぼくは自分が語ったものを聞き返す気はない。すべて自分の内側から語ったものを聞き返してもただつまらなく不快なだけだ。
ということで、ぼくが語るには誰か聞き手が必要になる。
ぼくは聞き手に対してさほど多くのものを求めない──と思う。
相槌はあってもなくてもいいし、僕の話に対して無理にコメントをつけろとは言わない。なにか作業をしながら聴いてもいいし、実際、そこにいてさえくれれば、まともに聴かなくてもいいかもしれない。
ただ人間がそこに存在していて、僕の話を聴いてくれている、というポーズをとってくれればぼくは語れるのだ。
しかし、そんな役目を引き受けてくれる人などいるだろうか?
あの人なら、この人なら、可能性はあるのではないか、と思う。もうすこし決心がついたら、頼んでみようかと思う。
伝える
3時間ぐらいの短い睡眠で最悪になった頭で「ひとに本心を伝えるにはどうすればいいだろう」と考えていたら、
「伝えるには、伝えるしかない」
という脳筋な考えが浮かんできた上にそれに妙に納得してしまった。
確かに伝えるには伝えるしかないよなあ…と自分の頭の中から出てきたものに自分で賛同している謎状態。
伝えるのに伝える以外の方法があるわけねーじゃん…
自分で言ってて意味分かんなくなってきたな。
続行。
僕が本心を誰かにぶつけるためには、トラウマと戦う必要がある。と思う。
トラウマという表現は少し正しくないけれど、一番わかりやすいのがそれだろう。
僕の本心をぶつける、ということは、僕を護るすべての防護壁が取り払われ柔らかい弱い心臓が剥き出しになり、その状態で持ちうる限りの力を振り絞って人に自分自身をぶつけに行く、ということだ。自らの醜くて脆いところをを人に直接晒すということだ。
当然それは酷く体力と精神力を使うし、それをしている間のぼくはとても傷つきやすい。
相手の言葉、声のトーン、感情、その他様々なことにやたらと敏感になり、ひとつひとつに深く傷ついたり喜んだり悲しんだり怒ったりする。
そして、その傷は、いつまでもいつまでもいつまでも残る。消えない。どうしても、消えてくれない。その時のことを忘れてもなお傷だけが残る。手当てされない限り、永遠に残り、膿み、傷の周りを腐らせてゆく。
そんな無数の傷が、僕の心にはある。
みんなそうだろうけど。
ぼくは、またそんな傷を負うのが怖くて、本心を出せなくなった。
トラウマ。誰かに、僕の本心を伝えたい、と願っても、恐怖が気持ちに勝ってしまう。
…疲れた。ここまで。
言語
僕の頭の中にあった「中国語の根っこ」のようなものがポロポロと崩れて消えてゆくのを感じる。
もう、中国語を喋っても、ちゃんと中国語を喋れていると感じられない。
土台が、消えてしまったのだ。
単語と意味の連結が薄れていて、これが本当に正しいのかわからなくなる。
完全に喋れなくなったわけじゃない。でも、細い糸の上を渡ってているような感覚。不安定、怖い、わからない。
世界には何十億と人間がいるのに、今この瞬間、誰一人自分のそばにいてくれない、という事実だけで泣きそうになる。
すこしでもそれを紛らわすために作業VCに入ってみる。そこでは人間が音楽を選んで流していて、それを聴かせてもらう。「音」を共有する。顔も名前も知らない人間。その人は確かに存在している。
そんな思考に至ってさらに目が潤む。
誰かと話したい、と思う。けれど、それは正解ではないし、人間に連絡を取る気分にはなれない。
たぶん、今、 誰かから業務連絡のような機械的なもの以外での連絡がきたら、ぼくはひどく苛立ってそれを無視してしまうかもしれない。(最近実際にあった)
まあ、このタイミングでぼくに連絡を取ってくる可能性のあるひとはふつうにいないから大丈夫なんだけど。
あー、あれやんなきゃな、これやんなきゃな、と思ううちに時間が過ぎてゆく。
ねむい。ねるか。おやすみなさい。
2022/08/24
「君の話」を読み終えた
コミュニケーション
人とのコミュニケーションが下手だ。
どうしようもなく、わからないぐらい、自分自身のことながら匙を投げたくなるぐらいに、下手だ。
コミュニケーション。人間の中で生きていくのに、外せない要素。
こみゅにけーしょん、こみゅにけーしょん、こにみゅ…
何度も繰り返しそう呟く。たまに噛む。
変な響きの言葉だ。なんだこれ。
けっこう、出会う人間には恵まれてきた方だと思う。
小学校一年生で親友に出会い(翌年には引き離されたが)
泣き暮らした二年生を除けば、いつも周りに「友達」と呼べる人はいた。みなまともで、多少の癖はありつつ普通の小学生だったと思う。そのうちの数人は中学校でも仲良くしてくれているし、休んだ日には毎回連絡カードを書いてくれる。ほぼ毎日じゃ、大変だろう、書かなくていいよ、と言っても書いてくれる。軽いいじめに遭ったときもそばにいてくれたっけ。とにかく、優しくて、良い人だ。どうしてそんな人がぼくと仲良くなってくれたのかはわからないけれど、彼女が僕に幸せや優しさや喜びを贈ってくれる限り、ぼくは僕の最大限の力で彼女にもそれを贈りたいと思うし、どうしようもなく引き離されるではずっと仲良くしてほしいと思う。
文章にすると随分素っ気無い感じになってしまったが、まあ、大好きー!!!これからもずっと仲良くしてくれー!!!って感じだ。
でも、僕が彼女と一緒にいたいのはそれだけじゃない、と思う。
その人は、一度も表面上に出しているところを見たことがないが、どこかに闇と空虚を抱えているように見える。
見える、というか滲みでている。
別に、ひとの闇を見抜きます!みたいな能力を持っているわけではないし、そんなことをする気もない。ただ、親友の体から滲んでいるそれを、完全に触れずに放っておきたくはなかった。
ただ、難しいのだが、その闇に手を突っ込む気は無い。その子が隠して笑って誰も感じ取っていないそれを、無理矢理こじ開けて喋らせてどうなると言うのだ。救いもできないくせに。
ただ、ただ、一言でもいいから、その闇に触れておきたかった。できれば、
僕からは無理には触れない。でも、いつか話して良いと思えたら、話してくれ。そして、もし潰れてしまいそうになったら、僕に連絡してくれ、できることはなんでもする、と伝えたかった。
だから、一回だけ、そのことをちょっと強引だが話題にした。
「Mちゃんさ、闇あるでしょ。他の人よりずっと大きい闇、隠してるやつ。話してると、なんか、感じるの」と言ったら、
「ふふ、まあね。」と言って笑った。自然にしか見えない笑顔だった。けど、闇が見えた。
「ねえ、僕からは無理に聞く気はないんだけど、いつか、教えてよ。あとね、壊れちゃいそうになったら、僕に連絡してよ。できることはするから。」
「うん、ありがと。」そうやって、その子はまた笑った。
「でもFさん(蒼)はオープンだよね〜」
「隠す気ないからね」
それで次の話題に変わった。
それ以上、その子闇には入り込めないままだ。ぼくは、自分が意図せず、もしくはただの好奇心でひとの闇をこじ開け、その人の心に酷い傷を負わせる可能性を孕んでいることをある程度理解しているし、ろくな覚悟も能力もなしに人の心の深い部分に触れようとするのがどれだけ惨い結果をもたらすのかも知っている。
だから、僕がそこに干渉するのが許されるのは、彼女が僕にそれを話してくれ、自分にも覚悟ができたときだと思っている。
彼女の闇の抱え方は、soさんにほんのり似ている気がする。恐ろしく巨大な闇を抱えながら、分厚い、完璧に近い仮面を被って「ふつう」っぽく「面白い人」として生活している。(そうか?)
本当はどうかわからないけれど。
僕の選択は、本当に最良の選択だったのだろうか。本当はもう少しその闇に触れるべきだったんじゃないか。いや、いっそ見て見ぬふりをして完全に気づかないふりをするべきだったんじゃないか。迷いは尽きない。
でも、今の僕にできるのは、ただいつか彼女が話してくれたときの心の準備と、もし彼女が僕を頼って来たときにいつでも対応できて、すこしでも支えになるための準備しかないと思う。
彼女の手首かずたずたにならないように。
そんなふうにある程度闇も光もある友人もいる(んだとおもう)
それと、小学校では特に先生に恵まれた。素直に尊敬できる人たちだった。
高学年の先生は、生徒に対して「対等に」接してくれてとても嬉しかったのを思い出すし、その頃ぼくは家族の連日の大喧嘩に精神がやられていたので、六年生のとき、帰りの会が終わってみんながいなくなり、その後最終下校までの約5分間、先生が僕の話を聴いてくれたのが救いになった。毎日、窓を閉めたり鍵をかけたりしながらの5分間。6時間その苦しみを抱えてきて、話し始めて一分で泣いてしまうこともあった。毎日、毎日だった。それでも、嫌な顔をせずに聴いてくれた。それで、心配してくれた。褒めてくれた。その時のことを思い出すと、今でも涙が出てくる。
なんであの先生があんなに僕に優しくしてくれたのかわからない。でも、そのおかげで僕は今生きているのかもしれない。
その先生には、子供が二人いる。ふたりともまだ幼い。下の子のほうは、その年生まれたばかりだった。
先生は、奥さんの出産のとき、3日間休んだ。
その年の年賀状には家族四人の幸せそうな写真が印刷されていた。
…家族が増えたばかりの先生には、毎日怒鳴り声が飛び交う家庭から学校に来て「優等生」をし、帰りの前の5分間家族の話をするだけでボロボロ泣き出す生徒はどう映ったのだろう。僕が語った家族の現状について、どう思ったのだろう。
聞くことはできない。もう、二度と会えないのだから。
いい先生だった、と思う。僕にとっては。
クラス全体を眺めるとそうは思えないのだけれど、僕にとっては、いい先生だった。
そんな感じの話が、あともういくつかある。
話がだいぶズレたがもはやほぼ修正不可能なので放っておこう。
声
「声が出ない」というか、正確には「しっかりした声が出ない」。
気づいたら、複数人いると声が揺れるようになっていた。不安定で聞き取りづらい声。厭な声。
人に自分の声を聞かせる、という存在主張がうまくできなくなっていた。
自分の聞いている自分の声と、他人の聞いている自分の声があまりにも違いすぎる、という恐怖に耐えられなくなっていた。
声が揺れるのは、たぶん、心からくるものだろう。わかっている。昔からよく声が出なくなっていたから。心の影響を一番に受けるのは、声だ。
ぼくは、澄んでよく通るときの自分の声が好きだ。たくさん褒められたから。
不安定で揺らぐ自分の声が嫌いだ。不快だ。
正直、どうすれば戻るか、わからない。わからない。だから、とりあえず、発声をしようと思う。たくさん読もうと思う。多分それが一番強い。
喉痛い
一時間ぐらい友達と話してから、滑舌に気をつけてはっきり発音することを心がけて朗読してたらすぐ喉が痛くなった。ええ。
2022/08/23
紅葉饅頭を食べている。まだ秋じゃないのに…と書こうとして調べたら立秋はもうとっくに過ぎてるので秋なのか。
秋は好きだ。
理由は単純、美味しい食べ物が多いから。
秋刀魚に紅葉饅頭、林檎、栗、etc…
僕は普通にたべることが大好きなので、秋はめちゃめちゃ楽しい。
え?現代では全部いつでも食べれる、だって?
いや…なんかあるじゃん…季節のアレ特有の美味しさが…
めちゃめちゃ起きたてで書くとまともに書けないことに気がついた。ぼく13時間ぐらい寝てるじゃん…
昨日に引き続き、考え事をしている。
いや、悩んでいる、といった方が正確だろう。
今のところ、答えがでる見込みはまったくない。誰かに相談する?いや、これは、当人以外の誰かに答えを聞ける類の問題ではないだろう。
これは、これだけはら自分で悩むべきだ。逃げてはいけないんだ。
これについて考えるのは酷い痛みと苦しみを伴うものであるが、これまでのように目をそらして時間が経つのを待つだけでは何も解決しない。
極端な思考に走りそうになる脳を抑えて、なんとか、考えうる最良の行動を探す。
そろそろ、腹を決めるべきなのだ。覚悟をしなければならないのだ。何度も何度も何度も人から指摘されてきたことに、向き合わねばならないのだ。
…この続きは、やめておこう。
それは、ここに書くには向いていない。不特定多数に見られるところに書いておくには、すこし自分と自分の周りの人のことについて入り込みすぎている。さらに、複数人の人を傷つけたり不快にさせる能性がとても高い。
無限にこっちのぐだぐだとした話を聞いてくれるAIとかいないかな。思考のお手伝いをしてくれるAIとか。独りで考えるには、この考え事は重たすぎる。けれど、意思や感情、操作できない記憶を持っている存在に話すには不適切だと思う。どうしよ…
寝
最近、もっちもちなぬいぐるみを抱きながら湯たんぽでぬくぬくしワイヤレスイヤホンで雨音を流す、という(ぼくにとって)最高な寝かたをしている。これがめちゃめちゃ良い。8月にそれをすると暑いのではないか?というのは聞かれたことがあるが、ぼくは暑さという感覚が半分壊れているのでぜんぜん気にならない。汗は起きたら結構かいている。
雨音。流しながら寝ると、やたら深い睡眠が取れる気がするし、必ず10時間以上はねむれる。眠りすぎて起きたときぜんぜん体が動かなかったりもするけど睡眠は心地いいのでオッケー。
ぬいぐるみ。リラックマの顔だけのやつなんだけど、謎にもっちもちなんだ。抱いて寝るのに丁度いいサイズ。寂しさが半減するのでリラックスしやすくなる。寝相が悪いので、起きたとき大抵そのへんの床に放り投げられていてめちゃめちゃ可哀想なので改善したい。尚、持ってると安心なので最近は家の中でずっと持ち歩いている。
ぼくは椅子とかソファーに足を伸ばして座るのが苦手なのでいつも体育座りに近い感じなのだが、その太ももとお腹の間にぬいぐるみが挟まれてる感じ。ちょっと押しつぶされてる。ごめんね。
湯たんぽ。これはただ単純にあったかい。安心する。真夏は流石に使わなかったけど、ちょっとずつ涼しくなってきたので遠慮なく毎日使わせてもらうぜ!!これ一つあるだけで寝やすさ心地よさが段違いなんだ…
ほんとに湯たんぽを思いついたひとを褒め称えたい。
最近はまあ寝れるようになってきた気がする。昼夜逆転は治ってないけど。
朗読あったら聞きたいなー、でも眠いなー、と19時頃からベッドと机を往復していたらこんな時間になっていた。
四時間だぞ!?やべえ!?ってなっているのでカップ焼きそば食べて何もなかったら寝ようかな。お湯を沸かします。
喋れないとこんな暇なんだなあ、と思う。時間があったら、いや、無くても101に入ろうとしてたときはだいぶ違った気がする。VCやネットのひとのことを考えているだけで時間の流れが違った。
明日にはまた気分が変わっているかもしれないけれど、今の僕は、声を出す気もそれを人に聞かせる気も起きない。イベントがあったらミュートは外すだろうしそれなりに楽しむと思うが、なんというか…う〜ん、って感じだ。ここ最近ずうっと考え事をしているのも関係してきているのかもしれない。たぶん「自分の今までしてきたこと」が揺るがされているから、怖くて、自分の殻に籠もりたいんだ。それじゃいけないのはわかってるけど、どうすればいいかわからない。僕は困ったときの対処法を二つしか知らない。「誰かに連絡する」と「独りで抱え込む」だ。どっちもあまり良い行動ではない。文章にしたよりこの二つは極端だったりする。
僕はいま後者を採ろうとしている。
といっても、自分の内側で「どうしようね」「どうしようね」って言い合っているだけだ。なにも解決しない。でも、今回ばかりは人に連絡できない。というより、したくない。それは「正解」ではない気がする。それは、違う。でも、どうすればいいかわからない。
これは、過去の自分とは違う方法で答えを出さねばならない問題かな。じゃないと、進めない。
過去の自分と、全く違う道はとらなくていい。例えば、友達に連絡して思考を聞いてもらったり、ネットの人に連絡して手伝ってもらおうとしたり…でも良い気がする。悪いことではないだろう。ただ、それを実行するための手段を変えねばならない。
このページに書いてあることは、基本誰へのことではなくて、ただ単純な僕の思考のアウトプットと、決意したことせねばならないことを文章にしてより自分に深く刻みつけるためだけのものである。僕の脳はいま「これをああ解釈されるかもしれない。そうしたら不快にさせてしまうかもしれない。もしかしたら…」とあらゆる可能性を考えてしまって軽いパニックを起こしているが、その可能性すべてを否定しておく。僕が書いているものはそれそのままの意味でしかなくて、隠れた意味は存在しない。
僕は自分の書いたものを読み返さない。何故って、面白くないからだ。ちょっと前の思考をそのまんまなぞっているだけだし、文章自体誰かを面白がらせようとしていない。完全に自己満足である。思考をそのまま正しく表そうとしてなんの装飾もしていないのだ。Scrapboxという人が見る可能性のある場所においているからには誰かを楽しませることを考えるべきであろうが、どうしても書くときになると自分の書きたいものを書いてしまう。そもそも面白い文章の書き方なんて知らない。そういうものを読みたい人は好きなブログとか本とかを読みに行くだろう。
世界はもっと面白いもので満ち溢れている。
カップ焼きそばできた。
カップ、と入力したときに変換に「割賦」と出てきたのが気になる、なんて意味の熟語だろうか。
推測:分割払いみたいなこと
あとでググる。
2022/08/22
CHILL OUTを飲んでいる。
なるほど、こういう極度の緊張状態をほぐしたいときに飲むものなのかな。
飲み物の効果じゃなくて、ただ自分に暗示がかかってるだけ説も否めないけれど。
ぬるくてもこういう飲み物はやっぱり美味しい。あんなに好きだったエナドリが飲めないほど不味く感じられて、そんなに好きじゃなかったこっちのほうが美味しく感じられるのが不思議だ。一ヶ月そこらでそんなに味覚…というか好み変わるか?とは思うけど実際に変わったんだから変わるんだろう。
とりあえずちょっと落ち着いた。
そろそろこのページの軌道修正をしようと思う。前々から思ってた。
“このページ、人に好かれないタイプの個人的すぎる感情の話しすぎでは?”
と。
もうほぼネガティブ日記なのよ。
「思考にふわふわ漂うもの」
だからなんとなく考えてることをそのまま吐き出してたけど、流石に病んでるときにその形式はまずいなって。
僕の中で一番語れることがネガティブなもののことだからそうなりがちだけど、あんま良くないよなー、と。
暗いものをすべて消してしまうのはつまらないからしないけど、暗めだなって思ったものはメモ帳アプリに書いて半日寝かせてチェックしてから貼ろうかな。過去のも見て「これやばいな…」というものは削除します。OKにしちゃったらどんどん闇が深まっていくから。どこかで区切りをつけないといけなかったんだ。きちんとしよう。
いや?過去のを見るのめちゃめちゃ大変だな…ちょっとずつでいいや。これから書くものにちゃんと気をつけていけば。
ブックオフ
ブックオフへ行った。毎日行ってる。どうして?
ブックオフは店舗によって結構品揃えが違って、行くのがめんどくさいところほどずっと探してた本があったりする。毎日別の店舗へ行ってるので、ブックオフスタンプラリーとかあったらうちの周りコンプも夢じゃない。
電車とバスと徒歩(17分)めちゃめちゃ生きづらいところのブックオフへ行った。
そこでなんと!「君の話」が220円であったのだ!すごい!!
プラス数冊買ったけど、ほかの店舗で見つからなかった本が結構あった。うれしい。
ブックオフで本を見てる時間は純粋な癒しだと思う。
自分と、本と、それだけの世界。
この小さな「ブックオフ」の箱の中に数限りない世界が納まっていて、そこから僕の内側の世界と触れ合える世界を見つけ出していく。
ブックオフの本たちは、大抵どこか傷ついている。その世界自体は全くなにも傷つけられていないが、彼らを包む衣装(つまり表紙や装丁)がぼろぼろになっていたり、汚れていたり、彼らが憑依している媒体(ページ)が小さく破れていたりする。それはそれで、彼らの一部分ではあり、それも含めて愛しいとは思うけれど、やっぱり痛々しい。
僕のところに来てからはそんな傷なんてつけたくないけれど、いつか不注意でつけてしまう日が来るかもな、と思いながら透明のブックカバーをかける。
僕があんまり新品の本を買わない理由は、お金がないのともう一つ、それだ。
新品ぴかぴかでいかにも純粋無垢、といった顔をした本より、傷つき疲れた本の方が僕の部屋に馴染む気がする。だから僕はブックオフに通うんだ。
夜七時に起きた。いくらなんでも生活リズムぐちゃぐちゃすぎやしないか。まあ、本一冊読んだら寝るつもりなので大丈夫。たぶん寝れる。
今日読むのは…
「終電の神様」阿川大樹
にします。
(80pぐらい読んでちょっと疲れちゃったので寝ます)
今日は一日中、カーテンを閉めなかった。いや、カーテンは2枚あって、外から中が見えなくする薄いのと光を遮断するための分厚いの。その薄い方は閉めてあったんだけど、夜になっても分厚い方は閉めなかった。窓は常に開けっ放し(網戸)。
カーテン一枚変えただけで、外の音も空気も匂いもすべてが鮮度を保ったままよりリアルに部屋に満ちている。外と中の区別がひどく曖昧だ。
いつも右耳につけて何か延々と音楽を流し続けているワイヤレスイヤホンも外した。
なんだか、世界に溶け込みたい気分なんだ。誰にも認識されたくない。いや、このページでこんな気持ちを書いているのだから、本当は違うのかもしれない。
今日は起きてる間ずっといろいろな考え事をしていたので、すこし疲れているかもしれない。疲れているから、しっかり眠れそうな気がする。
寝たい、寝なければ、という自分と、
寝たくない、明日が怖い、という自分が泣きわめいている。おそらく寝る方が勝つだろう。
2022/08/21
うーん。感覚が戻らないし、脳内がぐるぐるする。ミスと記憶で脳内が埋め尽くされる。
「自傷無色」を聴いていると、泣きそうになる。共感してるわけじゃない。ただ、この人には「こんな僕が生きてるだけでなんで君はそんなに笑うの」と問える相手がいることを知って、いない自分と比べて、たまらなく泣きたくなります。
そして、きっとこんな感情を抱えている人は世界にはたくさんいるんだろうな、と思って、
そんな人たちが今日まで生きていてくれたということを全力で喜びたくなる。ひとりひとり抱きしめて、褒めて、泣いて、ありがとうって言って、にっこりと笑いたくなります。
そんなことは実現不可能なのですが。
でも、僕は僕の手の届く範囲でできる限りそれをしてきたつもりです。でも、それは自己満足でした。
…それは、僕の欲求を他人に投影して押し付けただけだったんです。
本当は、ぜんぶ、私がしてほしいことだったんです。でも、してもらえないから誰かにしてあげようとした。それで壊れて、今の今までそのままです。
私は、泣けなくなってしまいました。
私は他人を救える人間でもないし、僻み妬み恨みだらけです。
「今日まで生きたよ!」
みたいな連絡が来ると、たまに、ほんとうに、たまにですが、めんどくさいと思ってしまうことがあります。優しく返せないときがあります。喜んだり褒めたりできないときがあります。君は僕がそう言っても褒めてくれないじゃん。どうでも良さそうな顔をするじゃん。優しくしてくれないじゃん。
…そんなふうに思います。
僕が生きてるだけで、喜んでくれる人がいたらいいな、と思うけれど、もう半ば諦めてしまいました。
べつに、毎日そうしろってわけではないんです。これはあまりに筋の通っていない願望なので「おかしい」と言われたらすぐ取り消すしかないでしょう。
僕が、僕を救う代わりに誰かを救えたらいいな。
そう、思います。強く。
服
実はめちゃめちゃな寒がりなので、真冬と真夏でおんなじ長袖の厚めの服を着ている。制服も同様、夏服とかいらなくない?服しっかりしてないと安心できない。
純粋にワンピースとかがぜんぜん似合わないのもあるけど。ああいうの似合うのって美少女だけですよね。着こなせる人なら年齢性別問わず似合うのかもしれないけど。
冬服はいいぞ。あったかい(当たり前)
もこもこふわふわしてて可愛い。最高。
2022/08/20
ああ、また言葉が散り散りになってしまった。創作ができない。何もかも投げ出して倒れるように眠ってしまったからだ。創作を忘れてしまったからだ。本を、読まなければ。また言葉を世界を拾い集めて繋ぎ合わせて、創作をしなきゃ。
でも、なんだかすべてが億劫だ。
体の芯、どこか深いところがひどく疲労してしまったように思う。徹夜のせい?いや、それだけじゃない。周りとの小さな軋轢や、難しいものに背伸びして手を出していることによる疲れが少しずつ溜まっていたのだろう。
体が、心が、怠い。
眠れば、直るだろうか。それを祈って、寝よう。
ゆたんぽを出した。あったかい。8月なのにゆたんぽ。
雨の音を聞いているので少し寒く感じられるのかもしれない。
温かいと安心する。ねむりやすくなる。
なにか、創作をするための「勘」のようなものが失われてしまっている。無理をしすぎたからだ。取り戻す方法は唯一つ、本を読むことだ。それしかない。何を読もうかな。
そうだ、これにしよう。
「人質の朗読会/小川洋子」
2022/08/19
眠れない。寝ようと決めたときにDiscordなんか開かなければ良かった。DM以外のメッセージ通知を切っておけば良かった。
僕は世界から見れば悪意でものすごいエゴイストでした。
また、精神が…
んふ。ネガティブ再来。
この傷は、忘れることはあっても一生癒えることは無いし、しばらくの間は脳にこびりついてたった一瞬でも思い返さずにいることはできないだろう。後悔まみれだ。
スマホの画面を触る指が震えている。
ああ、もう二時か。今日も眠れなさそうだ。
人間関係ぐっちゃぐちゃだなあ。
↑なんかここで終わっている。その部分の記憶だけひどく破損していてよくわからない。また思い出すだろう。
勉強を、しなければ
プール行く「予定」だった。けど、準備済ませて時間が余ったのでベッドに寝っ転がった瞬間、吸い込まれるように意識が落ちて今に至る。11時間寝た。ぐっすり。
たぶんそのせいなんだけど、また日記がうまく書けない。寝ると全ての創作ができなくなるのどうにかならないかな。
僕にとって文章を書くのはぜんぶ創作だからすごい困る。
まあ、本読んでれば回復するでしょう。
脳内が歪む。
2022/08/18
やばい。喋るのが楽しすぎて敬語が取れてくる。
おんなじ人とずっとお互いのペースで話してると、楽しくなって親しくなったような気がして敬語がとれてきちゃうんですよね。悪い癖です。
僕の敬語は付け焼き刃なので、結構すぐ取れてしまうんです。
別に敬語自体にそこまでの拘りはなくて、無い方が楽なんですけど、たまに敬語つけないで喋ってると怒られるのでつけてます。
「こども」が「おとな」に対して敬語をつけて喋ってないだけでキレる人間がネットの海には大量に存在するのです…
気にしないって言ってくれる人もいますけれど、そういう人の中にもキレる人っているので、警戒を解くことはできません。これは一種の自己防衛なのです。僕が身につけた、理不尽を回避するための大切な手段です。
いつか大人になったら、いつか僕がなにかになれたなら、こんなもの必要じゃなくなるのでしょうか?
でも、もしも、僕が誰にも敬語を使う必要がなくなっても、僕はそれを身に纏い続けるでしょう。僕は、弱虫ですから。自分を敬語の殻で護っておかないと不安なのです。
ここまで書いておいて、ふつうに同級生にはタメで話すんですけど。
距離を感じさせない方がいろいろ便利()だし。
まあ、僕は同級生を「自分を傷つける可能性がある存在」と見ていないからタメで話せるのかもしれません。大抵の人はマシンガントークでごまかせるし。どう思われようがどうでも良い、だからです。
同級生で連想
同級生「Fちゃん(私)って絶対彼氏側だよね」
…僕がめちゃめちゃ言われる言葉です。
ぼくおんなのこなんだが。
主な原因
必ず道路側を歩く癖
自分に依存してる人(女子)に甘い言葉を囁く癖
さりげにめんどくさい仕事(作業)を引き受ける癖
…だと思う。
でも、そういうのをするのが「彼氏側」だという認識はよくわからない。
上から二番目は恥ずかしいのだがどうせだからと晒す
病んでる子に対して
「…死にそうになったら、連絡しろよ。すぐそっち行くから」
「勝手に死ねると思うなよ。ぜってえ独りで死なせねえから。死ぬときは一緒だ」
「そんな不安ならペアリングでも買うか。高いやつは買えないけど。」
「大丈夫、ずっと一緒にいるよ」
…後日「一日会わないと禁断症状が出る」って言われました。やりすぎた。
その子、半ばストーカーじみてて普段すごいきつく当たっちゃうんだけど、たまに何故かめちゃめちゃ優しくしたくなるんだよな。
普段きつくあたっちゃうのはしかたなくない?だって休み時間毎教室の扉のとこで待ち伏せしてるんだよ?一日何回会うかわかんないんだよ?うざったくなってきちゃうんだよな(ごめんね)
脳内が笑ってしまうくらいに矛盾している。自分の言葉が正しく相手に解釈されないことに腹を立ててごちゃごちゃと解説を重ねようとしてそれが狂っていることに気づいて嫌になる。どうしてわかってくれないんだ。伝えられなかったからだ。このたった二文を何度繰り返したことか。わからない、くだらない。くだらない、というのも逃げだ。僕はいつもこうやって逃げる。正面から疑問に文章に人に向き合わない。特殊な状況でない限りそれは望まれていない。僕はそうしたいと願うのにさせてくれない。これは責任転嫁だ。思考を文字に垂れ流す。何も伝わらない。伝える、ということに拘りすぎている。意味がわからない。それはそう。だから何だ。
望まれたいと願う
僕は望まれない
"望まれない"
周りの態度からそれを知った私はそんな呪いを自分にかけてきた。そんな必要はなかった。望まれない、それは事実なのだけれど、自分に呪いをかける必要はなかったのだ。愚行だった。誰かに望まれたい。でもなんでもいいわけじゃない。それには条件がある。私はは自分の能力を望まれたいのだ。しかし私は望まれるだけの能力を持っていない。獲得するのもむずかしい。むずかしいから人に望まれるのだ。それを得るためには努力をしなければならない。それは理解しているのに、しないのだ。できないのだ。なので私はさらに自分を無能と罵る。だからってどうにかなるわけではないが。この思考はすべて意味のないことである。人に見せるのにたったの1厘も価値のないものである。でも、吐き出さずにはいられない。ただの自己満足である。嗚呼、思考が回る。エナジードリンクのせいだ。少しでも有能になろうとして流し込んだあの日のZONEの味が舌に蘇る。あれは、不味かった。もうあんなものは味わいたくない。でも、そうしなければならない日もまた来るのだろう。その日もこんなものは不味ければいい。背伸びして無理に体に流し込むエナジードリンクなんて美味しくてはいけないのだから。話がズレた。どう直せばいいかわからない。うえ。隣に積まれた中の岩波文庫が私を睨む。難しくても頑張って読みたいと思った「人間精神進歩史/コンドルセ著/渡辺 誠訳」が。これを読めば、その知識がまだこれを読んでいない人には必要になるんじゃないかって思った。でも、疲れてしまって、読む気にならない。他にも本が僕を見つめる。「はつ恋/ツルゲーネフ」「銀河鉄道の夜/宮沢賢治」「雪国/川端康成」「こころ/夏目漱石」どれも有名な本だ。読んでおけばそれが出てくる話を理解できるようになるだろう。でも、それがひどく重たく感じられる。読みたい。でも、たいへん。本数冊も読めない私は無能だ、とまた頭の中で声がする。なのにまた本を買いたくなる。本を買うことでこのなにもできない焦燥感から逃れられる気がする。そんな事実はないのに。本をたくさん買ってたくさん読めば、人から必要とされる知識と能力を得ることができるのか?今僕はそれに縋る事しかできない。またネガティブなものを書いている、と怒られるかもしれない。これは禁止されることなのか。不可解。朗読も終わったし、この辺にしておこう。
ちょっと遠出して神保町に行った。古い本の匂いに満ちている店内は、長くいると酔ったようになってしまうのですこし苦手だ。でも7冊ほど本を買えたので嬉しかった。読まなければ。
帰りに秋葉原のブックオフへ行った。初めて行くところだった。岩波文庫の棚があって、よく聴くタイトルの本がたくさん並んでいたのでめちゃめちゃテンション上がった。
…お金がないのでそこでは一冊しか買えなかったんだけど。
代わりに220円以下と書かれている棚で110円のを4冊ほど本を買った。220円以下とは書いてあれども実際は500円以上の本とかいろいろ混ざってた。あんま好きな店舗じゃなかったなあ。たぶんまた行くけど。
そうそう、岩波文庫の棚を見てたときに、隣に若いお兄さんもいたんだけど、結構な時間その棚を見てて、すごい真剣な目だった気がする。真剣って言うのはなんか違うな。本、好きなんだろうな、って思った。本当はどうだか知らないけど。
僕がしばらく一箇所を見てキャッキャしてたからその間そこが見れなくてちょっと迷惑かけちゃったなあと思う。うーん、ごめんね。
でも、何を買ってたのか聞きたかったなあ。声掛ければ良かった。急に知らない子供に声かけられたら困るかな?でも、他の人が何を読んでるかぜんぜんわからなかったから、聞いてみたかったんだ。殊更に、その人には他にはない雰囲気が漂っていたように思うから、その人が何を読んでいるのか、知りたかったんだ。それで、僕も読んで、二度と会うことはないだろうその人をすこしでも知ってみたかったんだ。
今度似たような状況があったら、どうするべきだろうな…
自分の感情が自分の思い通りにならない。僕は今どんな気持ちなんだ。
誰でもいいから当たり散らしたい。理不尽を叩きつけたい。キレたい。向き合ってほしい。腹の底から叫びたい。
怒り、というにはなにかずれている。イライラ、というのにもずれている。
どうすればいいのかわからない。反抗期、のようなものだろうか?じゃあ私は何に反抗しているの?
自分を縛っていた鎖やルールがどんどん崩れて意味のないがらくたになっていく気がする。これは良い変化なのだろうか?わからない。
でも、不安で不安で仕方ないんだ。この今の感情はその不安の裏返しなのかもしれない。こんなとき、しまんさんやsoさんや胡散さんやseinさんの声を聴けたなら、欲張るならその声が私に向けられていたなら、会話をすることができたなら、どれだけ良いだろうか。でも、そんな奇跡みたいなことは起きない。私がそれを望む限り。
返ってこない連絡は虚しいから、もう送りたくない。べつに、辛いわけじゃないし。苦しいわけでもない。死にそうなわけでもないし、そこまでネガティブになっているわけでも無い。ただ、たまらなく不安で心細いのだ。誰でもいいから、大人がそばにいてくれたなら、どれだけ良いだろうか。
おかしい。私はこんなに涙もろくはなかったはずだ。じゃあ、なぜいま水分でじんわりと視界がぼやけているのか。「泣くな」という呪いが解けたから、だろうか。じゃあなぜ、目から零れるほどには涙が溢れてきてくれないのだろうか。いっそ、激しく泣きじゃくってしまうことができたら楽なのに。私は泣くのが下手だ。笑うのも戯けるのも悲しむのもへこむのも怒るのも下手だ。激情を体の外へ出すのが下手だ。
現実感が無いのだから、当然のこと。離人症?そんなのしらなあい。私はいつも、ではないがよく、みんなから遠く離れたところにいる。表情とも感覚とも遠く離れたところだ。何も伝わってこない。さみしい。
それでもまだ、離れているだけだけだったら薄くても何かを感じ取ることはできる。それを手繰り寄せるようにして、感じることができる。
本当にひどいときは、僕はガラス玉の中に閉じ込められていて、外からのなにもかもはガラス玉に跳ね返されて、ここまで届かない。わからない。何も感じられない。そんなときがある。よくある。
僕がガラス玉から出ているときは、すこしみんなの近くにいるときは、狂っているときだ。体も脳もとっくに限界を迎えると、僕は剥き出しになる。傷つきやすくなる。でも、みんなの近くにいる。現実感がある。だから私は徹夜しないと創作ができない。
…ここまで
2022/08/17
「今夜、君を壊したとしても/瀬川コウ」を読み終わった。約一時間半で一気に読んでしまったので体力の消費がえぐい。一回寝てまた読み返そうかな。直感で買ってめちゃめちゃ好みの小説だった。瀬川コウさんの本数冊買ってみようかな。
→「謎好き乙女と壊れた正義/瀬川コウ」買った。
2日で部屋に35冊ぐらい本が増えた。
読みきれないけど部屋に本があるだけで幸せなのでオッケー。
明日神保町行くのが楽しみすぎて寝れない…
2022/08/16
僕は
ぼくは、何がしたいんだろうな。どんな人間なんだろうな。どんな人間になりたいんだろうな、とずっと考えている。
そして、時間が経って行くことへ異常なほどの漠然とした不安感を感じる。
僕の「理想」にたどり着きたい。でも、そのための努力を僕はできない。できないまま、変わらないまま、時間は経っていく。僕はおとなに近づいて行く。みんなとの距離がどんどん離れていく。みんなどんどん大人になっていくのに、僕はこどもに取り残されたまま。そんな未来が見える。
どうして僕は、こんな細い道なき道を歩いているのだろう。みんな、ちゃんとした道を歩いているのに。いつ、こんな道へ迷い込んだんだろう。どこで選択をしたのだろう。
いや、僕の人生に選択は無かった。無い。
その時その時で僕は持っている情報と知識と能力を全て使って考えて考えて考えて進んだのだから。
その時の私には、それしか選べなかったのだ。
今から「あのときこうすればよかったな…」と思っていても、それは私がそのときの選択の結果を知っていて、さらにいろいろな情報を得たから考えれることであり、その時の私にはわからないことだった。その私を責めるのは違うのではないか。
もともと、こうなる「運命」のようなものだったのではないか。
後悔はない。
僕はどうしようもなかったんだ。
そうやって過去の罪悪感未練なにもかもごまかしている。自分を許すためにこんな穴だらけの理屈に縋っている。
僕のクラスメイトの中でこんな考え方をしているやつが一人でもいるのか?いないだろう。
どうしようもなく、みんなと違う。
人間の中に溶け込んで、ふつうになりたかったのに。推しとテストとゲームのことで頭がいっぱいな普通の中学生になりたかったのに。でも、今から、化けの皮を被って、そんなものになるということを考えるだけで吐き気がする。あの世界がひどく狭く感じられる。もう戻れない。もう遅い。
みんなのいるところに行きたいと強く願いながら、僕の理想の僕はそちら側には無い。
みんなのところに行って馬鹿になりきれば、楽なんだと思う。
理想を追えば、幸せなんだと思う。
でも、馬鹿になった僕を僕はひどく軽蔑して嫌悪するだろうし、
理想を追えばぼくはそれと現実とのギャップに悶え苦しむだろう。
どっちを選ぼうか。
いや、答えは決まっている。
ぼくは理想を追いたい。
だから、今の僕は勉強をするべきだ。
そして、思考をするべきだ。
…
頭が働かない。机に向かう気になれない。
…
寝よう。
嘘
僕は嘘をつかない。それは嘘だ。
僕は会話にかなりの数の嘘を混ぜ込む。それはもう癖になってしまって、完全に取り除くのは難しいし、大半は些細なものだ。だから、バレずに終わることが多い。
僕は自分の嘘が嫌いだ。気づいてほしくて、なのに、誰にも気づかれずに終わる嘘たちが、可哀想で可哀想で苦しくて。
嘘をつくのをやめたい。自分を隠すのをやめたい。でも、やめられない。癖。
まあ、いつかなおるでしょう。
自己肯定感アゲアゲタイム
たまにめちゃめちゃ頑張ったときはご褒美としてこれを設定する。
簡潔に言うと、普段抑えて低めに保っているいる自己肯定感を開放する時間です。
僕は内側ではめちゃめちゃ自己肯定感が高いし、すこし度を越しててねじ曲がってものすごいナルシストになってしまうのでいつもは自分に暗示をかけて低くしている。
でも、自己肯定感アゲアゲタイムの中はそれを一切とっぱらい好きなだけ自分を褒めて嬉しくなる。
たのしいです。
2022/08/15
回想
ここは、言葉の通じない暴力に晒されることのない国だな、と思う。
いや、それが身近では無い国か。
言葉が通じない。暴れようが叫ぼうがやめてくれない。何もできない。ただ、一方的に蹂躙される。誰も助けに来ない。相手が満足するまで終わらない。
そんな体験は、人間のどこかひどく分かりづらい隠されたところを傷つけて狂わせるんだと思う。
ぼくは、たった一度のその体験から抜け出せずにいる。
ましてや、それが何回も繰り返された人は、どうなってしまうのだろう。
言葉の通じない暴力。
ぼくは、たぶん、もうそれを受けることは無いだろう。
安心していいのだ。
でも、フラッシュバックが止まらない。僕はいつまでも、あのときに囚われている。
そして、今この瞬間それに晒されているこどもたちやおとなたちを想う。
戦争、虐待、いじめ、…その他諸々の、暴力。
やっている側は、そんな傷なんて想像もつかないかもしれないし、やっている本人にもそういう傷があるのかもしれないけど、やっぱり、憎いと思う。
そして、こどもたちやおとなたちが負った傷を、負うはずの傷を、すべて僕に集めてほしいと願う。
僕がその痛みをもらうから。その記憶をもらうから。その苦しみをもらうから。不幸も残酷も絶望も悲哀も僕が抱えるから、どうか、あなたたちは、苦しまないで欲しい。
眠れないベッドの中で、僕は毎日それを神様に祈る。
何もしてくれない神様は、この願いすら叶えてくれない。
神様は、居ない。
でも、僕は祈っているだけで、何もできないという焦燥感と無力感から少し逃れることができるから。
結局この祈りは、僕にとっての救いでしかない。
イベント
ワードウルフのイベント建てた。えらい。
イベントのところに夏休み開始前からアクティブなやつと2023年のやつしか無いことに危機感を覚える。
とりあえず、軽めのイベントをぽんぽん建てようと思う。VC参加希望と企画参加希望のメンションもどんどん飛ばす。ウミガメ部もちゃんと動かしたいなあ。
なんとかしないと、あーぷらがだんだん死んでいくような気がする。気の所為だとは思うけれど、怖いから、できることをしなければ。
まあ、ゆるいイベントをやたらめったら建てたところであーぷらが確実に盛り上がるのかというとわからないけれど、やらないよりはましだと思う。
それに、イベントを建てたり実行したりすることは僕の利益にもなるし。
企画を建て、文面を考え、宣伝し、主催者として実際に盛り上げる。
こういう経験値を得られる場はそんなにない。それを得るためにここに居る感もある。
同年代
やっぱり、年齢の近い人と話すのは苦手だ。
±3歳ぐらいと話すと異常なほど体力を消耗するし逃げ出したくなる。
話しづらい。
「友達」というような距離の近さがだめなのかな。
2022/08/14
心理学の本を読んでいたら、ちょこっと鏡映描写が出てきて、
「これ名無しさんとしまんさんが言ってたやつだ!!!!」
とめちゃめちゃテンション上がった。
進研ゼミで出たやつだ!と似たものを感じる。
毎日少しずつ読んでたら一度に読めるページ数が増えていってるし、めちゃめちゃ良いかもしれない。
最近自分が回復していくのを感じる。
勉強ができるようになったのだ。
落ち込んでから今まで、シャーペンを持つこともできなくて、本もごく一部のしか読めなかった。
でも、ぼくはもうノートを書いたり、毎日いろんな本を読んだり、得た知識を他のものとリンクさせたりできる。
なんでこんなに元気になったのかはわからないけれど、せっかくできるようになったのだから、頑張りたいと思う。
2022/08/13
創作褒められると嬉しすぎて狂っちゃう。
私の創作は私自身であるので、私が褒められたように感じるんですよね。
だから僕の創作を褒めてください(強欲)
思考。
code:思考
ずっと、ある人と通話したいと考えてしまう。止まらない。
忙しい人だし…
何日か前通話したばっかだし…
せめて今月末まで待たなきゃ…
負担だろうし…
と自分に言い聞かせて個チャ連絡をしないように自制しているけれど、やっぱり、あの声を聴きたいと願う。あの言葉が私にだけ向けられていた時間がひどく恋しくなる。
優しさに溺れられるあの時間が。
でも、彼は、いそがしい。
あの低い柔らかい声を聴きたい。
いや、聴くことはできるんだ。今日だって聴いた。
よくVCにいるから、聴くことはできるんだよ。
でも、ちがう。彼は、私と話しているわけじゃない。違う。噛み合わない。
僕は何人もいると潰されてしまってうまく喋れないし、あのひとは"みんな"に向かって話しているんだ。
寂しい。かなしい。くるしい。
でも、連絡はできないんだ。
できないんだ。
できないんだ。
連絡をできる彼はもういないんだ。
いなくなったも同然なんだ。
そう、いなくなったんだ。
死んだんだ。私の中では彼は死んだんだ。
VCに居る彼は、別人だ。
個チャの彼とVCの彼は別の人で、個チャの彼は死んだんだ。
だから、連絡なんてできないんだ。
いないんだから、ずっと通話できなくても平気なんだ…
こんな感じの思考をしています。
自分のこころを護るための一つの考え方です。ちょっとやりすぎな気もするけど。
「勝手に殺すな!」とか言われそう。
まあ、みなさんは「そんなん思うぐらいだったらふつうに連絡すればいいじゃん」
と思うでしょう?
でも、すると〜〜〜〜
連絡切られるんですよね〜〜〜〜
びっくり、瞬く間に人がいなくなるんですよ。
眠いし変なテンションになってるのでねます。おやすみなさい。
希死念慮
最近は薄くなってきた気がする?
いや、濃く感じない時間が増えた。
でも、時々、なにかがトリガーになって噴き出してくる。
↓以下真っ暗↓
やめてくれよ。
いつも自信に溢れていて
強くて
面白くて
いろいろ出来て
努力家で
正しくて
そんなあなたが、そんなあなたが、暗い話なんて。たまらなく、羨ましくなってしまうじゃないか。
じつは、暗い話という言葉は僕の伝えたいものとしては合ってないんだけれど、ほかに近い言葉が見つからない。
あなたも、人間なんだって感じるから、底無しの闇が見えてしまうから、どうしようもなく醜い感情が湧いてくるから、やめてくれよ。いや、やめなくていい。そんなことを言いたいんじゃない。
僕の倍ぐらい生きているあなたの大きさが見えてしまうから。
遠い遠い遠い遠いところにいる気がする。
どうして、苦しんでたのに、苦しんでるのに、そんな素直に自分を持って生きられるんだよ。どうやったら、そんなふうに生きられるんだよ。嫉妬と劣等感でいっぱいだ。どうしてそんなふうに?思考が進まない。ぐるぐる回る。
たぶん、僕よりずっとずっとたくさん考えて生きてきたからなんだろうけど、それを心で認識できない。わからない。自己に世界に陶酔して諦めて思考停止してきたぼくと比べて、苦しくなってしまう。
あなたみたいに、なりたかった。
醜い醜いこんな気持ち。
「完璧」な人の闇なんて覗きたくない。ぼくの心に刺さりすぎる。痛い、いたい、でも、刺さるからこそ、見たいと思う。
うまく、言語化できない。ひどく疲れる作業だ。おやすみなさい。
2022/08/12
創作したいが体調が最悪なので諦める。
メモ帳をきれいにしたので見やすい。創作の単語とかいっぱいおいてぐちゃぐちゃしてたからなあ。
colornoteってメモ帳アプリがおすすめです。
昨日、友達からこんな疑問を寄せられた。
道徳に基づいて正しく生きろと言われる世界なのに、なぜ「人間的」なんて言葉が流行るのか
それについてごちゃごちゃ考えたのをおいておく。理論崩壊。だれかたすけて
code:ぼくのかんがえ
まず、定義としてはこうです(ググりました)
【道徳】
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。 外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
【人間的】
人間(の行為・感情)に関すること。特に、人間らしいさま。
↓からかんがえ
「道徳に基づいて正しく生きろ」って「人間的」に生きていてもできることだと思うんですよね。僕の考えではその2つは矛盾しません。
道徳に基づいて正しく人間的に生きることだってできると思います。
というか葉蔵みたいな奴でない、世界の人間の7.5割ぐらいはそうやって生きてると思います。
なぜなら、道徳に基づいて正しく生きているかいないかというのは、実際に体が動いて、他者が観測できる「行動」により判断されるもので、
人間的かどうかは誰にも観測されずにその人の内側に秘めているだけでも成り立つものだからです。
でも、じゃあなぜ「人間的」なんて言葉が流行るでしょう。
それは、現代社会や学校が過剰にそれを抑圧しているので、それを解放したいという鬱憤の表れなのではないでしょうか?
「道徳〜生きろ」は、"命令"です。
しかし、命令は絶対にはなりえないし、表面上ではうまく全員が従っていたとしても不満が募ります。そして人間はその捌け口をもとめます。
「人間的」を叫ぶ曲と詩が大量に生産されているのも、それなのかもしれませんね。
この文章ぽんと送られた友達困ったろうな。
内容には触れずに
「きみ頭いいね」
とだけ言われたのでちょっと虚無った。
頭は良くないです。関係ありません。
「〜成り立つものだからです」
のあとは本当はべつの文章のつもりでしたが、マジで矛盾しまくってたので没…貼っときます。供養供養。
code:没
しかし、それはある程度社会に適応し成熟した人間の話です。
こどもは、多くの場合道徳よりも人間的なことを優先して動きます。
道徳に基づいて生きる、というのは本能と感情の抑圧であり、社会への適応度の低い人間は「人間的」なものを抑えきれません。
子供の場合は自我を確立するためにそれが大切なことだったりするのですが。
反抗期は道徳と人間的なものの折り合いをつける期間でもあります。
大人になり社会に適応していくと、ある一定のラインを越えた「人間的」なものをひた隠しにして、ごく親しいほんの一握りの人に少しだけ見せながら、生きるようになります。
しかし、それが適度なものならいいのですが、ときに過剰な抑圧になります。今の日本社会がそうでしょう。それは誰もの心に鬱憤を溜めます。
「人間的」が流行るのはそれを解放したいという鬱憤の表れなのではないでしょうか。
意味がわかりませんね。
この疑問をふっかけてきたのは高校生のひとです。わーい。
こういう考え事するのは楽しいしすごい好きなんだけど、それを話す人が誰もいないっていう悲しさ。誰かから反論なり指摘なり何らかの反応がないとふわふわした考えを言語化する気力なくなっちゃう。
でもあーぷらで交わされてるのは難しくて入れないしな…
↑勉強しろ
はーい
いやまずその前に寝ろ
うん、わかった
おやすみ
おやすみなさい
2022/08/11
詩とか小説とかに触れたからか感性バグってる。
ぬいぐるみがしょんぼりって何?
でも確かにしょんぼりしてるんです。
ぬいぐるみにも心はある。
枕の隣においてあるぬいぐるみに背を向けて眠ると、たまにめちゃめちゃ後ろから圧感じるもん。抱っこして寝てあげるとふわっとした雰囲気出すもん。
3年も4年も一緒にいるんだからなんとなくわかるよ。
一生手放す気はないし。
わんたん(柴犬のぬいぐるみの名前)はぼくとずっと一緒です。
2022/08/10
朝起きてからずっとにこにこふわふわしている。
なんか知らんけど幸福度高い。
その理由これだろうな〜、ってのは思い浮かぶけど、ただところどころ昨日の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているので、思い出し待ちなところはある。
まあ、あと半日〜数日ぐらいでもどってくるでしょう。無くしてはいけない記憶だったと思うから。
たぶんしあわせすぎて抱えきれなくなってちょっと心の奥に仕舞われちゃったんだと思うし。小出し小出しで帰ってくる予感。
ぼくの心はあんまり大きなプラスな感情を抱えられるようにできてない。
ある一定のラインを超えると( '-' )スンッ…ってなっちゃう。時間置いて30回ぐらい思い出しにこにこができるからいいんだけど。
また、がんばって小説を書こう。まえの放置してるけど。書き出し、というか1つパーツだけ書いた。うーん。微妙、だけど置いとこう。
code:①
化け物はつぶやく。
「どうして…ぼくひとりだけ、みんなから遠く離れた、こんな、ところに…どうして…」
大丈夫。今日も、彼は起きてこなかった。
きっと明日も、 明後日も、その向こうも起きてこない。
それまで叫び続けていた彼が沈黙してから、一年、二年と経った。
けれども、彼はまだ静かなままだ。
大丈夫。
もう二度と、彼が私の中で暴れることはない。
抱いていたぬいぐるみを脇に置いて、癖で壁掛け時計を見上げる。
それは、とっくの昔に電池が切れて、動いていなかった。
なんか創作するとメンタル削られるな…納得いかないし
まあ、やるしかないか
2022/08/09
人間
人間を人間と認識できなくなってきた感覚がある。
文章と声と言葉とアイコンと記憶がばらけて、「ひと」として理解できなくて、誰と話しても誰おま状態。やばい。
自分のこともよくわからないし、ふわふわする。
人間って何。ググるか。
code:人間
(にんげん、(英: human being)とは、以下の概念を指す。
・人の住むところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。
・(社会的なありかた、人格を中心にとらえた)人。また、その全体。
・ひとがら。「人物」。
(Wikipediaより)
らしい。
概念って何だっけ
人格って何だっけ
人って何だっけ
????説明できないな…しらべなきゃ
…こうなるから単語調べは終わらない。
たぶん脳のイメージの部分が疲れてるからわからないんだけど。
寝ても寝ても治らないから諦めます。
自分が何を書いてるのかわからなくなってきた…
ちょっとやすみます。
2022/08/08
ごはん
最近、ご飯をちゃんと食べれていないなあ、と思う。
一日一食すら危うい。
それで健康にガチの影響が出てきたので、体重とか気にするのやめて普通にご飯ちゃんと食べようと思う。
胃袋が貧弱になってるからたくさんは食べれないけど。
どうあがいても41kgよりは体重落ちないっぽいし、自分の中でごはんが
「まいにちたべるもの」
から
「からだがふらふらして限界を迎えたら食べるもの」
になっていたことに恐怖を覚えた。
あぶない。
前は、お腹が空いてなくても三食摂るものだったのに…
いつのまにか認識がすり替わってた。こわい。
ごはんだいじ。
2022/08/07
18:57
手元のメモ帳には、ちゃんと自分で作った短歌。
今からならまだ間に合うかも?
でも、
何故か、
「…いいや」
と思えてきて、ぼーっとしてる間に19:00が来ていた。
あーあ。
なんで、いいやって思ったんだろう。歌会、すごいやってみたかったのに。
でも、ずっといろいろなことが頭の中をぐるぐるして、どうしようもない。
来月は、参加できるといいな。聞き専でも行く勇気が出るといいな。
こんな時間に、家と数駅離れたところで商店街をふらついてるからこういう気分なのかもしれないけど。
ううん。そんなこと考えなくていいんだ。
駅についた。
早く帰って、勉強しよう。
ぼくはすこし臆病になってしまったようだ。「もし…」のせいでなにもかも踏み出せない。
何日も前の傷を、まだ引き摺っているのか。でも、あれは、いつか負わなければいけない傷だった。傷のおかげで前に進めるかもしれない。でもまだ痛い。
ちゃんと手当された傷だから、膿んではいない。大丈夫。きれいに治るだろう。でもまだなにか引っ掛かる。手当はされたのに、刺されたナイフが抜かれていないのかもしれない。それを抜くことができるのはナイフを刺した本人と時間だけかもしれない。
でもそれは正論のナイフだったから抜いてはもらえなくて、待つしかない。ただ、もうそうやって傷を負わないために、がむしゃらになって、時間が進むのを待つしかない。
たぶん、しばらく経てば、また勇気が出せるようになるから。
…とここまで書いて何だが
ぼくは人の見えるところになんやかんや書くと、その反対のことがよく起きる。
普通に聞き専行きたいのでいってきます
堅苦しい会ではないので気軽に参加してくださいねレオ.icon
気にしなくてイイですよ。もし関係に傷が入ってもVCにいるだけで他人の関係は再構築される(と信じている節がある)。普通にいるだけでいいくま子.icon
2022/08/06
心理学の本
これ、あれじゃない…?
心理学の本、序と最初の数ページはめちゃめちゃ読みづらいけど、その後から普通に読めるのでは?(ちがうかも)
話
Discordの方に居ないから、普段雑談になるはずだった話をここに書いちゃうな。
いや?自分から話を広げて話の中心になって話すこと一切ないから前と変わってないかも。
話の中心になるのはマジでぜんぜんできない。だって面白い話し方も話題も纏め方もタイミングの掴み方も知らないんだもん(言い訳)
自然と中心になれるってスキルやばいよな…僕がそれをよく見るのはしまんさんがやってる時なのですが、実は心のなかで(すげえええええ!!!!)って思ってます。
それと、
自分の体験を語る話し方ができるのめちゃめちゃ尊敬します。soさんとか、朗読室で8割ひとりで話してるときでもめちゃめちゃ面白いんだからやばいよな…最強じゃん。
コミュニケーションつよつよな人たちいっぱいいる。
聞いたらいろいろ練習のしかたのアドバイスくれそうだな、と思うけれど今はいっぱいいっぱいでそれを実行する時間と体力が無いです。聞いてアドバイスもらって、でも実行できませーんってちょっと失礼じゃない?と思う。
帰
夜道を自転車で走っていたら、soさんとか胡散さんとかくま子さんの声が酷く懐かしくて聴きたくなってしまった。なのに、このまま一生、大好きなその声たちを聴かなくても僕は後悔しないな、とも思った。まあ、でも、帰ってきちゃったんだけど。
名前、黒くなっちゃったなあ。さみしい。広報会議室とかもう見れないのか。
叫ぶ
叫びたくなった。ひとりで、意味のない母音ときったねえ言葉を叫んでがなって、感情を吐き出したい。
なーんにも考えなくて、気にしなくて、衝動性にただただ従って、叫びたい。
ぼくはここにいるんだ、と、叫びたい。こんなにうるさいんだ、こんなに自由なんだと。
縛られていた、いや、縛られている自分自身を解放したいと思う。
こんな気持ちを抱える理由も「思春期だから」で済ませられるのだろうか。
たぶん、そう。
オトナはみんなそう言うから。
ちっちゃな僻みが顔を出しました。
それは置いといて、
ぼくが"好きだった自分の声"を、久しく聞いていない気がする。
澄んでいて、よく通る自分の声が好きでした。愛していました。もう出ません。
でも、きっとまた声の出し方を練習していけば出ると思うのです。取り戻せると思うのです。
たくさんひとが褒めてくれた、あんな声に。
澄んだ声は、私のずっとの誇りだった気がします。
今ではすこし濁ってしまいましたが…
でも、まだあの声を覚えている限り、戻れると思うんです…
2022/08/05
雨だ。ねむい。雨音聞いてると眠くなってしまうので寝ます。
ノイズとか雨音とかそのへんの雑音とかって聞いてるとねむくなるよね。
すこし、休もうと思う。
たっぷり寝て、それから本を読むんだ。部屋にたくさんあるすこし難しい本を読んで、考えて考えて考えるんだ。
もっと、高みへ行くために。
みんなのいるところへ行くために。
そっちへ、行くために。
心理学の本を読む。(ざっくり言い過ぎ)
正直、むずい。いや、ことばがわからないわけではないし、読めるのに、あたまにはいってこない。
なので、
①ゆっくり黙読をする
②自分で読み上げて録音する
③ ②を聞きながらもう一度読む
という読み方をした。
①➁③一回ずつでも純粋に3回読んでるし、プラスでちょこちょこ読み返したり繰り返したりしてるので時間溶ける。進まない。でもゆっくりやればなんとか理解できそう。
(まあ、今日は数ページしか読んでないんだけど)
がんばる。
これ読み終わるのいつになるかな。
夏休み終わるまでに読みきれるかな…ちょっときつそう。
それと、なんとなくで意味想像して読んでるけど「この単語の定義知らないな…全然思い浮かばないな…」ってものを本の中から書き出して調べてルーズリーフに纏めておくことにする。そう、単語のちゃんとした意味を知らないのも理解に時間がかかる原因だと思うんだ。
えらい
code:樹の音が綺麗
樹の音が綺麗
雨に打たれる葉の音風に揺らされて、擦れる音
静かに佇むはずの樹だって
ほんとうは、音にあふれている
幹を抱きしめると
私の周りに、樹の音がみんなあつまってくる。
いっしょにあそぼう、って。
ねおき。
2022/08/04
難しいおはなしに参加できた。夏休み?知らない。
……ちょっと、悔しくなる。まだ私はついていけない。同じレベルの話をできない。それはそう。
真面目なお話では、特に、人生についての話では"13歳の考え"なんて、誰も求めていないことをまた目の前に突きつけられる。
…なんで…?
それはね、年数が足りなくて、未熟だから。
そんなものが重要なの…?
そうだよ。だって、そこには埋められない差があるのだから。
いままで必死にその差を埋めようとしてきた。大人に近づこうとしてきた。そのために、本を読んで、考えて考えて考えて、つらいことを耐えて、それで、…
少しずつ、近づけている気がしたんだ。
でも、
でも、
「大人っぽい」「13歳と話してるとは思えない」「賢い」
どれだけそう言われようとも、生きてきた年数の差は埋まらないし、真面目なお話のときに私は役に立たない。結局私は"こども"。
とっくの昔に、気づいていたのに。
まだ、それを知って傷つく自分がいる。まだ、大人と一緒にお話をすることを夢見ている自分がいる。私なりに懸命に考えた結果を、私の信念を、想いを、言葉にして、ひとりの"意見"として堂々と発言できる日を夢みている自分がいる。
いままで、できなかったから。
僕の周りに、そんなものを受け止めてくれるおとなはいなかった。
「"子供だから"話に入ってこないで」
そんなの、聞き飽きた
同級生には、まず言葉の時点で通じなかった。
「──…って、なあに?」「?なにいってるの?」「え、わかんない」
当然だった。
本を読んである程度の語彙を獲得することができるぐらいの賢い人はみんな私に内面の未完成さ、幼さ、凶暴さを察して私に寄り付かなかったから。
考えたことを話せる人は誰もいなかった。
私が考えたことを、だれかに、話したかった、…
(もはや愚痴になっててやばいな)
2022/08/03
雑談系サーバー
もう雑談系サーバー入らない。やだ。
VCも入ってないしまともな書き込みもしていないのにやたらDMがくる。がくる。変な画像を送られる。すべてブロックするのだけれど、まだ入って一日ちょっとしかたっていないのに何回もそれがあっていやになってしまった。サーバーも抜けた。ええ…
胡散さんありがとうございます。うう…
💪🍵💪
変なDM飛ばされない方法ってないだろうか。アイコンめっちゃキモくしてみるとか?いや、それは自分にダメージがいくな…
当分はあーぷらだけでいいかな…耐性がない状態で他の世界に足を踏み入れて痛い目を見てしまった(?)
って考えると、あーぷらでそういうものに遭ったことがないな、と思う。とりあえず知らない人にDM飛ばされるとか一回もなかった。
え…すごくね??
夏休み(三日間)中だからVCめちゃめちゃ盛り上がってそうなのに入れないの悔しい。いや、ちょっとだけ聞き専ではいっちゃうか?べつにいいよね???(意志の弱い人)
なんでもいいから思い浮かんだことを書き留めたり、あと、できたことを好きな色の小さな折り紙に書いて壁に貼ったり、押し花(葉)を透明のマチ無し袋に入れたやつを貼ったりしていたら、ベッドの上がぐちゃぐちゃになってしまった。そのせいで眠れない。片付ける気にもならない。混沌が好きだったりする。
2022/08/02
昨日、雑談系サーバーをディスボードで探して出てきた中の二つに入った。
ふたつとも、軽い自己紹介と猫写真しかまだ上げてない。空気感がある程度読めるまで書き込みをしないつもりだ。
なのに、もう知らない人からDMで変な画像を送りつけられて(ブロックしたが)ちょっとびっくりしている。
あーぷらに3,4ヶ月ぐらいいるけどこんなことはなかったのに、他のサーバーだともう約半日でこんなのが来るとは…!!
たぶん、Discordの世界にはじめに足を踏み入れるには良いサーバーを見つけたんだなあ、と思う。
疲れている
ちょっと疲労が溜まっているなあ、と思う。企画も書き込みも、やろうと思ってた鼻歌も、どうしてもからだとあたまが動かなくてできない。たぶん、ネット疲れだろう。スマホから離れたい。けど、精神が限界を迎えそうな友達のsosを見逃す可能性があるので(まえやった)鍵かけた引き出しに入れることもできない。あーあ。
とりあえず三日ぐらいDiscordの方への書き込みはおやすみすることにした。スクボにはぜんぜんいるけれども。
🍵✨×3
癖って怖い。知らないうちにあーぷら開いて廃墟の作業室に参加していた。やばい。
2022/08/01
きょうはおさんぽにいかなかった。あまりに暑くて、ベッドの上で溶けていた。
ぼくの本来の姿は液体だったらしい。
あしたは涼しいといいな。きれいなもの、探したいから。
なんの利益も得られない話をしたいなあ、と思う。頭からっぽにしたい、でもさみしい、ってときがよくあるからだ。
答えのあるはずがないおはなしをゆるっとしたい。
雑談サーバーとか探してみようかな。
ここは…あ、あれ?
……学術サーバーじゃん…。
雑談&朗読サーバーみたいな使い方をしてるけど学術サーバーじゃん…。
ちゃんと意識しておかなくちゃ。
uvoa.icon度々目にする「学術サーバー」という概念。たしかそのような事実は無かった気がするので気にしなくていいと思いますよ。
そうなんですか!ありがとうございます!蒼.icon
唐突なのだけれど、あーぷらを2,3日おやすみしたいな、と思った。
自分があーぷらにもうほとんど依存していて、さらに最近、緊張感が薄れてきてしまったように感じるのだ。
ネガティヴ発言とかログのこととかで定期的に「ちょっと…」と言われているのにもかかわらず…
それに、毎日VCに入っていると、絶対にすこしきついことを言われたり、会話が噛み合わなかったり、迷惑をかけたり、気まずくなったりする。たぶんこれは、人と話している限り、完全に無くすことはできないことだ。
たぶん、うまく避けることもできるんだろうけど、まだ、私にはうまくできない。
それで、…最近、そういうことがとても重なって、疲れてしまったのかもしれない。
ちょっと離れて、独りでベッドに大の字になってぼーっとする時間が必要だと思う。
ぼくがぜんぜん浮上しなくなったらそういうことです。
まあ、イベントには参加したいし、朗読も…たぶん聞き専ではいるかも。
ねむいなあ。
蒼.icon